南米朝練の名物親父の一人Dr.Kは、とんでもなく重いギアをガシガシ踏んで、激坂を矢のように登っていくことで有名です。平地も速く長距離もOKというスーパーマン。
この年にして、何がそんなに彼を駆り立てるのか。仲間内でも諸説紛々なのですが、その彼から2005年夏に故郷・長崎でのサイクリング記を預かりました。
これを一読いただくと、彼のパワー(と美学)の根源がいずこにありや、垣間見ることができるような気がします。
ドキュメントと読むも良し、私小説と読むも良し。それは皆さんのご判断にお任せします。

 学生時代、キザな言い方をすれば、私にとって自転車と青春は同義語だった。天気さえ良ければ仏頂面の教授のクソ面白くもない講義など出ていられるはずもなく、自転車で遠出したのは至極当然のことであった。なかでも島原半島や西彼杵半島はとても気に入っていた。心底惚れていたと言ってもいい。

 25年前のある夏の日、やはり私は朝からサイクリング部部室へ直行し、愛車にまたがると西彼杵半島一周へと走り出した。西彼杵半島は、前述したように私にとって自転車の原点と言ってもいい。一周約140km、東半分は時津町、琴海町、西彼町と平坦基調の道。別にどうということもないのだが、西半分は西海町、大瀬戸町、外海町と美しい海岸線沿いの道、ここは平坦な部分はほとんどなくものすごいアップダウンの連続である。まぁこんな暑い日には誰も行かないような所である。私以外には。  外海町黒崎の長い登り、ここは8%ぐらいの登りが1km以上続く最もきつい登りなのだが、さすがに私もヘトヘトになって登っていた。その時である、スーッと私の横を抜き去っていく自転車がいた。「頑張れよ」。彼がそう言ってくれたような気がした。チラッとしか見えなかったが赤いハートマーク、デ・ローザのフレームだ。ピンクのレーサージャージ、マリア・ローザか。どれも私の憧憬である。ふと前を見ると、もうそこには彼の姿はなかった。夏の日の幻影・・・・。暑さのため頭がどうかなっていたのかも知れない。しかし、いつの日かきっと私も。いつかきっと彼のように走りたい。こんなきつい登りをあのスピードで。

 今日は25年ぶりに、長崎市でサイクリング部のOB会が開かれる。私も47歳となり体力は落ちたが、脚力だけはまだ自信がある。夕方5時集合なので久しぶりに長崎近郊でも走ってみるか。8月13日、最高気温36度というカンカン照りの日である。
 正午頃、長崎市を出発し西彼杵半島を一周することにした。5時間で140km、あの西海岸の激しいアップダウンを考えるとかなり厳しい条件である。いや、絶望的とさえ言えるかも知れない。しかし私はより困難な状況においてこそ燃える。(こんな暑い日に燃えてどうするんだ?)この猛暑の中、誰も考えないようなこと、誰もできないようなことをやってみせる。究極のストイックな世界、いや、ただ無謀な馬鹿馬鹿しさと紙一重に過ぎないのだろう。
 時津町、琴海町、西彼町と平坦基調の道を35km/hぐらいで軽く流す。こういう日は水分と食料の補給も大切である。500ccのスポーツドリンクを13本ぐらい、この日一日で飲んだと思う。そうでなければ脱水症、熱中症になっていただろう。好物の餅やまんじゅうもたくさん買い込み、背中のポケットに入れ走りながら食べる。この辺はいかにもロードレース的で格好いいのだが、いちいち立ち止まって食べている時間も実はないのである。

 西彼杵半島最北端の面高へ到着。といって半分終わりではない。きつさから言うと3分の1ぐらいか。これから名物のアップダウンが延々と続くのである。西海町太田和から大島大橋が見える。この橋は10年ほど前にできたので、見るのは今日が初めてだ。行ってみたい・・・走ってみたい・・・しかし時間がない・・・。ここまで来て行かなかったらきっと一生後悔するだろうな・・・よし行くぞ!男の意地だこれが私の生き方青春のロマン走りの美学自転車乗りの哲学だ!
 大島に行くのに約15km、30〜40分余計にかかる。このタイムロスは最早絶望的とさえ言えるだろう。それでも私はほとんど本能的に大島への道を走っていた。悲しい習性でもある。
 その後もガンガン飛ばし、崎戸町、中浦、七ツ釜、瀬戸とアップダウンをこなす。速い。誰もこんな登りをガンガン走れないだろう。ストイックである。自己陶酔の世界である。私は「走れメロス」か?