板屋峠Hillclimb

2005/7/24
3月末,博士号の学位を授与されたものの,福岡県内に残るという条件の中の職探しは困難を極めた. そのまま居座るつもりは毛頭無く,少し特殊な専門分野を正面から受け入れてくれる研究機関はなかった. そして大いに悩んだ末,思い切って九州大学工学部に居候させてくれと頼んだところ,快諾して貰い,九州大学所属の 学術振興会特別研究員PDという身分に落ち着いた.
 こちとら居候の身,とにかく研究成果を挙げて,受け入れ研究者に恩返しをせねばと思い研究に打ち込んだ. そして,五月半ば,研究がようやく軌道に乗ったところで,学生君たちから練習へ誘い,O君,I君らに 置いていかれるのはまだしも,九大のTシャツ軍団2年生らにも置いていかれる始末.

「このスポーツ,ある程度は走れないと面白くない.」

屈辱的だった.かつての実業団選手は誇りを失ってはいなかった.悔しさのあまり,密かに復帰を誓った.
超軽量自転車を降り,鉄のピナレロをレコードで固め,週2回の早朝練習と週末に200kmのLSDをこなし始めた.
初めはきつかった.脳が全身に送り出す身体動作プログラムは、かつての筋力を保持した状態のまま, 一方,体は鈍りきり=W:68kg, F:6.3%(2002年) →W:63kg, F:14%(2005年5月初順)),心肺機能は深刻な低下を見せた
高速ペダリングではお尻が跳ね,下りコーナーは攻めれず,ギアも踏めない.散々だった. 八木山タイムアタックは二瀬又ー山頂までの3.3kmを9分57秒だった.
6月に入り,徐々に練習の成果が現れ始めた.全身に筋力が戻ってきた感があり,脂肪量も随分と減ってきた. 体重は変らなかったが,明らかに脂肪量は減っていた.およそ一ヶ月の練習期間中,睡眠時間は減ったが, 勤務時間が増えた.昼間の10分の仮眠が文武両立+嫁サービスを支えた.

「学生は速くて当たり前,今の情況を知っていたらもっと上のレベルに行けてたかも知れない」
かつての仲間と日向峠→長野峠→三瀬→観音峠→長野峠の150kmの練習を行った.結果は散々だった. かなり調子が上がっていたと思ったが一線で走っている連中のペースはことのほか速く.特に九大の O君,九工大のI君のペースは次元が違った.この酷な現実を受け入れつつも,自分に必要なものを 改めて考えたが答えが出なかった.
また,その翌日の南米商会練習会.周長さんとの一騎打ちで大きな後れを取った.元実業団と言うならば 自分も同じ,だが自分の方が若い.三瀬山上まで登っていたらINOUさんにも追いつかれそうになっていた. 答えが出た.筋力不足,特に腰から上.長時間の高出力を可能にする筋力が足りなかった.
嫁スクワット.日々,僅かずつ増加する嫁は適切な負荷調整だった.と思う.10回で悲鳴を上げていた脚は 2週間後には37回まで耐えるようになった.また5kg鉄アレイを使った腕の筋力トレーニングは左右で100回 を耐えるようになった.腕立て伏せは連続70回.現役時代は100回やっていたことを思えばまだまだ.
阿蘇望か上津江3時間耐久か.選択は簡単だった.阿蘇望で限界に挑戦することが自分に必要だと思った. そして高いモチベーションを引き起こすために,西日本実業団に同行し,スタッフとして選手を支えた. 雨のレースとなった本大会,チームメイトの戦績は振るわなかったが,帰りの車内反省会で徐々に気持ちは高揚した.
一週間後,体調はまずまず,湿気の多い中,第2回八木山タイムアタックを敢行した.
脳が送り出すプログラムはかつて7分36秒で走り抜けたそのままだ.体をどこまで対応させれるかが課題だった. 39-14でスタートし,最初のコーナーで体調が良いのがわかった.18Tにアップし,ケイデンスを保つ. 徐々に疲労がたまってきていたが,お構いなしに踏み倒す.ここまで回復していた自分に興奮した. 順調かと思われたが体は正直,2km付近で傾斜が上がるところで失速.ギアを軽くしてケイデンスを保つ. 昔ならば傾斜が緩んだらギアを重くして加速できていたが,それは無理だった.結局,8分57秒でゴールし, 前回記録を1分上回ることができた.

疲労を抜きつつ,7月に入り.2週間後の阿蘇望のためにプリンスSLを復活させた.朝練習では自転車の重量軽減 がここまで走りに影響するかと感激した.かつて柔らかいと感じていたフレームは今の自分には硬いくらいだった. 反応も良く,コーナーも安定した.何よりも踏み出しの軽さに驚いた.これなら.早速八木山に赴き,第3回八木山タイム アタックは敢行された.攻めに攻め,8分27秒と30秒の更新に成功した.
阿蘇望前日,白水村から高千穂までの往復80kmを九工大の後輩達と走った.前回彼らと一緒に走ったのは 一ヵ月半前.峠で千切られる前に平地で千切られていた連中だ.そんな彼らに登りでアドバンテージを得ることが できるようになっていた.体調も良く,感じも良かった.ただ,ポジションは相変わらずしっくりきていなかった. 阿蘇望では猛暑の中,攻めに攻めた.俵山を超え,地蔵峠に入った頃には熱中症にかかっていた. ボトルの水が底を付き,体の底から溢れる熱量は半端ではなく,体力を激しく消耗した.
地蔵峠の中腹でおなかさんの愛弟子,ハマチ君に追いつくがペースが上がらず,一度は抜くものの先行を許した. 少しペースを下げて休み,再度全開走行し,ハマチ君を抜き山頂まで4kmのところまで来た. 平田先生が元気に走っている.平田先生は21Tを踏んでいる.こっちは25Tを必至に踏んでいた. 平田先生がペースを上げると付いていけず.体のあふれ出す熱は相変わらず,そしてボトルもカラカラ.
かろうじて地蔵峠を登りきりエイドに着くが,水を飲んでも回復せず,状態が整わないまま奥阿蘇に向かった. ここは何度も登ったことがありコースが頭にこびりついている.が故に厳しい.熱中症に遣られた状態では 時速8kmを保つのがやっと.次第に脚が痙攣を始め,頂上まであと3kmのところで完全にストップした。

「完走することだけでは価値を見出せない」
これは今も昔も変らない自分の主義.どこぞの知らぬオジサンレーサーにも抜かれプライドはズタズタ. しかし峠中腹で引き返すのは自分には許せなかった.時速5km/hを保ちようやく山上へ.そして身の危険を 感じたので潔くリタイアを決意した.
福岡に戻り,ツールドフランスを観戦.ウルリッヒが不調.一年間楽しみにしていたツールが終わった気がした. バッソ,ランスと全力で戦うウルリッヒ.カメラがウルリッヒを真横から捕えた瞬間にイメージが沸いた. 自律神経覚醒訓練法にも似た方法でペダリングとポジションのイメージトレーニングを繰り返した.
翌朝の練習時にポジションを調整し,ついに辿りついたという感じがした.
「カーボンの網目半分の高さ調整と0.5度単位のサドル角の調整」
最適化ポジションでは腕と脚の筋力が生かされる気がした.それでいてスムーズな高回転ペダリングも可能になった. 板屋峠が週末にあるという知らせを聞き,すぐに申し込ませてもらった.そして大会前日に竜王峠ヒルクライムを 敢行した.井町君には及ばなかったものの,まずまずのペース配分だった. その後,炎天下の中3時間のLSDで帰宅した.
翌朝,5時起床,6時15分に家を出て,板屋峠に向かった.体調が昨日よりも上がっているのがわかった. 調子にのって走っていたら早良区に入る頃には乳酸がたまり気味だった.道にも迷い60kmかかってしまった. 到着したのは8時半,誰も来ていないの試走を始めた.何しろ3年ぶり,コースをまるで覚えていなかった. 3,6,10,のコーナーがきついことと29カーブ後ゴールまで長いことを頭に入れて下山.
下山する頃には結構な人数が集まっていた.おなかさんやO君と談話し,社長に下りのHow-toを習った. とにかく集中して走りたいと思い,スタート順を中盤にしてもらった.目標は20分を切ること.
スタート直後から乳酸の溜りを感じた.ここは心拍170程度,ケイデンスを90くらいで乗り切ろうと思った. キャシーのヘッドバッドをスウェーで避け,中尾さん,ハマチ君をパスした.ハマチ君は少しの間,自分の 後ろについて走ったそうだが,覚えていない.自分はとにかく集中していたようだ.そして10コーナで我に返る. きついコーナーをキープレフト.冗談だろうと思いながらもダンシングを織り交ぜて越していく. 思いギアで乗り切った性か,心拍は落ち着きを取り戻し170後半になった.脚がようやく回復してきて ペースを上げた.状態を安定させて,踏みながら回す,いい感じだった.
そして集中力を取り戻し,今度はキープレフトの心がけが頭の中でキープレフトされていた. 気がつけば24コーナー.車の音が聞こえたときに左に避ける.社長のご一行様だった.「徳安君,失格〜」と 低い声が流れた.どうでも良かったが南米社長の声だとわかると妙に力が湧いてきた.感謝しています. その後,力が湧いたまま五時さんが見えた.必至でのぼっとる姿に感動し(注:ゴマゴマ(^^ゞ),29コーナーをクリアして コージさんの声が聞こえ始めた.ギアを上げてケイデンスも上げることができた.心拍は197のままゴールした. 手元の時計でタイムは19分42秒,調子が良かった割には伸びなかったと落胆したが,目標を達成した充実感はあった.
O君が上がってきて19分15秒くらいだと聞いて,今日の気候は酷なものだったと改めて思った.集中できていたから 暑さは気にならなかった.堂々の3位は正直に嬉しいと思った.シーズン前半最後で満足行く走りができた. 表彰式では人類史上ありえないだろうという大先輩を知った.還暦を示す赤いジャージに身を包んだご老体は 8人の孫を持つという.そして1週間前に脳梗塞で倒れ,今,過酷なヒルクライム後に医学,生体医工学を嘲るように ビールを楽しんでいる.とんでもない.
その後帰宅し,疲労がどっと押し寄せてきて,ぐ〜たらな休日を過した.炎天下でボロボロになるまで自転車に乗って 帰ってきてボロ雑巾のようにぐったりしている旦那を見て,嫁はどう思っているのだろう?

お終い.
戻る
徳安博士のツール・ド・沖縄2005