福岡市在住の日隈優輔君(22)が、今シーズン、フランス・ノルマンディーのチームで走っています。大学に入ってからロードレースの魅力にとりつかれたH君。「絶対に本場フランスで走りたい」と夢を語ってくれたのが昨年夏。恒例の南米ヒルクライム前後でした。 
今シーズンは、国内の有名クラブチームで走り、一段ステップアップをという話が急転直下、フランス武者修行が実現しました。夢の実現に向けて、一生懸命に動いたのが実を結んだようです。後ろ向きな若者(だけじゃないけどね)がとかく話題になりがちなだけに、その前向きで積極的な姿勢は、くたびれたおやぢを久しぶりに爽快な気持ちにさせてくれました。
こういう若者がいることを、私なりに知らせたいとの申し出に、メールでのレポート送信を快諾してくれました。レースそのもの、レースを取り巻く環境、ヨーロッパの自転車事情etc・・・。ハードなスケジュールの合間を縫って知らせてくれる生の声は、きっと役に立つと思います。前のページからどうぞ

2005/5/13

ヘリテイジツアー2005(タイ・1)

明日から前半の山場、ヘリテイジツアー2005が始まる。 そのためにタイへ移動中、アブダビでの飛行機待ち合わせ時間を利用して書いてます。

タイへの出発前、晋一さんとコージさんが僕らに会いたいとパリからルーアンまで来てくれた、これからテュールーズまで800キロの道のりを帰らなければならないのに200キロの寄り道。嬉しかった。 晋一さんは自分のレースで忙しいのにも関わらず僕らのことをとても気にかけてくれている。 ケバブ屋(ハンバーガー屋みたいな感じ)で食べつつ、懐かしい話や今後の目標などを話した。 ちなみに僕の目標は「6月の一時帰国までに一勝!、そしてまたフランスに戻ってからは勝利をかさねてナショナルカテゴリー昇格」だ。人より口数の多い自分は不言実行男のようなもくもくと自分の目標に向かってがんばるかっこいい男にはなれない、目標を公言したいじょう達成できなきゃかっこわるいからがんばるっきゃない!と思っている。

初のビックステージレース、自分の力を試したい。

タイのホテルに到着、飛行機で寝れなかったので辛い…、近くで永遠と泣き続ける赤ちゃんがいたため…。

早めにミーティングをすませ、9時には寝ようと思ってた、翌日は3時半起きだ。 ベットに入った瞬間、部屋の電話がなった。誰だ〜?っと思いながら受話器をとり「もしもし〜」(僕はかたくなに外国でも「もしもし」を貫いてる、なので電話にでた瞬間僕だとわかってくれる(笑) タイの友達だった、タイ合宿でツールドサイアムに行ったときに友達になった。 今回、スタッフのなかに友達がいるらしく自分の部屋番を聞いたらしい。今、ロビーにいるとのこと。 寝ようと思ったがせっかくなのでロビーまで行った。 あ〜懐かしい〜という感じだ。 バイト帰りにわざわざホテルによってくれて、手紙まで書いてくれていた。そこには少ないものの日本語の文と「ganbatte」のイラストが。ちょっと感動してしまった。 マジでやるっきゃない!

DAIHATSU Bonne Chance! Yusuke HIGUMA

2005/5/14

ヘリテイジツアー2005(タイ・2)

第一ステージ。154,5キロ

急なスケジュール変更で前日現地入り、しかしこれはこれから始まるトラブルの序章にすぎなかった。 朝、4時ホテル出発、7時スタートと昼から始まるフランスのレースとは大違い。 今日はタイのお姫様が来るらしく警備も厳重、選手は別の場所でくつろいでいた。 急に1周のパレードが始まった、監督から「とりあえず1周だから行ってこい」と言われシューズはスニーカーのままパレードへ。 ゴウはサンダルだ、しかも靴下履いてビーサン…。 1周にしてはずいぶん遠くまで行くな〜なんて考えつつ、ぼちぼちとパレード。スタート時間は7時半に変更されたと聞いていた。 今は6時半前、余裕がある。 しかし!ここでタイの選手と話していたゴウがこのままスタートだと言っている。あわてて後ろへ下がりサポートカーへ。 サポートカー見つからず…(この時点でパレード集団から離れてしまい信号にひっかかっていたらしい、前にはオフィシャルの車がいたので安心してたらしい。) 話が違うぞとオフィシャルに怒鳴りながらサポートカーを探すが見つからない。 7時10分、まだスタートまでには時間があると思っていたら、オフィシャルあわててスタートラインの方を指差してる。 まもなく「パン」というピストルの音が…。おいおい!20分も前だよ〜!と思いながら僕とゴウはまず集団に追いつくことにした。 スタート直後は集団も安定してたものの、突然ペースが上がり一列棒状に…。スニーカーだとうまくペダルをまわせない、サンダルはもっと辛いに違いない… 集団の後ろでずっとオフィシャルにチームカーを呼んでくれと言ってもなかなかこない、どうやら迷ってるらしい。 (後から聞いた話だと、タイ人の運転手がただ前に行かなかっただけらしい…。おいおい)

40キロ走ったとこでやっとチームカーが上がってきた!監督の顔を見たときにはホッとした。 車につかまりながら靴を換えてるとオフィシャルが止まって換えろと言ってきた、一瞬でも止まると時速40キロ以上で進む集団はあっという間にいなくなる。 車につかまりながら集団復帰を目指す、じわじわスピードを上げていき60キロ以上は出ていた。 そこでまたオフィシャルが!仕方ないので他チームカーを利用しながらあがる。交通整理が下手で一般の車がチームカーの隊列にいる…ありえね〜。 トラックやバスの恐怖に耐えながらやっと集団復帰!しかし復帰と同時にパンク!「マジかよ〜」もうここまで運がないとあきらめるしかない。 再びチームカーまで下がり車輪を交換、全力で集団復帰! 復帰した頃には逃げが決まっていてどうすることもできず1ステを終えた。 タイ人の友達、トミー(SIAM BARA)が優勝したのが唯一の小さな喜びだった。 レースのアベレージスピードは46キロ、速い。

晩飯中は選手、スタッフの口から「ありえね〜」が連発、監督会議ではオーガナイザーに抗議が集中したらしい。 灼熱のなかチームカーやオフィシャルからボトルをもらえず、脱水状態の選手が多数いた。自分もその一人。 暑いのに鳥肌と振るえが止まらなかった。 交通整理もうまくいっておらず、アタックした選手の横を大型バスやトラックが抜かしていく。「あぶね〜」 仕舞いにはバスに轢かれそうになってる選手もいた。

明日は大丈夫かな? DAIHATSU Bonne Chance! Yusuke HIGUMA

ヘリテイジツアー2005(タイ・3)

第二ステージ。153,9キロ

昨日の反省から早めの準備。順調なスタートをきった。 しかし天気が順調じゃなく、雨がやむことはなかった。 序盤から逃げを許してしまい、今日もなにもできずゴール。今日もアベレージは46キロ。 土砂降りの雨の中のレースは辛い、でも暑いよりはましだった。泥水をたくさん飲んだので下痢しないか明日が心配だ。 レース後のジャージはデザインがわからないほど黒かった。

第三ステージ。

5日間中、もっとも長いレース、218、5キロ。 日本で200キロ走るのは沖縄しかない、でもそれはワンデーレース。ステージレース中にこの距離を走るのは消耗することだろう。 タイ合宿で距離に対する不安はなくなったのでがんがん攻めて行きたいと考えていた。 序盤からめまぐるしくレースは動き、逃げてはつかまり、つかまっては逃げの展開だ。トミーも前日、逃げを許してしまい、あせっているのか自ら逃げを潰しに行く。 僕のとこにきては「わたち、つかれまちた」と言ってくる。確かに消耗してるはずだ。昨日もコントロールしていた。 彼に協力したいとこだが総合で大きく遅れている自分はステージを取りたい、だからリーダーチームに任せた。 予想通り200キロを過ぎてからはスピードがなく、40キロぐらいで一列棒状。 自分は最後に抜け出す足が無くて集団ゴール。チームでは小室選手が3位に入った。 逃げをつくることも逃げに乗ることもできない。もっと積極的に動かないと、もうあと1ステージしかない!

第四ステージ。個人タイムトライアル12キロ

12キロの全力疾走。さすがに足は重い。全力を尽くそうとギアをかけたがそれが裏目にでてまわすことができずタイムは伸びなかった。

最近思うが、タイやベトナム、ミャンマーの選手って意外といい自転車に乗ってる。言葉が悪いが裕福な国ではないはずだ。 なのに、SIAM BARAチームは全員TT用バイクだし、ベトナムナショナルチームもディスクホイールだ。 ミャンマーも全員トレックのカーボンフレームで統一されている。国で買ってるのかな?

日本からボンシャンスのファンクラブの女性2名が応援に来てくれた。夜、時間があったのでスタッフ、選手(小室、日隈)で近くの市場まで食事に行った。 夕飯をたくさん食べた自分は特に何も食べなかったが、みんなはタイ料理を満喫してるみたい。もちろんぼくもタイ料理は大好きだ。 かえるを食べたがそういえばタイへ出発する前の晩もかえるを食べた。日本ではあんまり食べないのにな〜。美味しいですよ! 楽しい会話のある食事は大好きだ。いろんな会話をしたがみんな口をそろえて「クマちゃん元気だよね〜!」 レースで疲労してるが元気はいつも通り!選手によってはステージ後半になると元気がなくなってしまう選手もいるらしい。 僕は生活が楽しいので常に元気だ(笑) 明日は決まるまでアタック!という指令がでた、最終日だ見せ場をつくりたい!明日は行くぞ!!

DAIHATSU Bonne Chance! Yusuke HIGUMA