白ベイ赤ベイ
FIXEDの悦楽」などでおなじみ名古屋在のベテランNさんから、新たなコンテンツをいただきました。
わざわざ福岡西部の藤崎まで足を運んでNAMBEIピストラーダをオーダーされたNさん、最近、2台目のNAMBEIを発注、無事完成して手元に4台のピストラーダが並ぶことになりました。
オーダーしたNAMBEIの試乗記が南米商会のブログに掲載されていますので、そちらをご覧下さい。オーダーするに至った経緯や最近の輪界のことなど、ビョーキと良識と、ひとつまみの狂気(&驚喜)で出来ている趣味人の本音です。

届きました
7月14日(編注:2014年)、午前中に届きました。早く段ボールを開けたいけど、こういう時に限って忙しい。いつもは閑古鳥が飛び回っているのに…。もはや「嫌がらせ」としか思えません(汗)。
気も漫ろで仕事を終え、昼休みにやっと開封することが出来ました。開けた途端、丸フォークと太いチェーンステイにジロリと睨まれ、「アンタにゃアタシは乗りこなせないね」と言われたたような気がしました。昨今のどんなにファットなカーボンフレームやカーボンフォークを見ても、「ぶっといなぁ…」と思うだけで威圧感を感じることはないのに、『白ベイ』の丸フォークと太いチェーンステイはホント圧倒的な存在感です。
まぁ、『床の間自転車』になる可能性も十分に考えていましたので、パーツも「逃げ」や「言い訳」の要素が多大に入った構成です。いまどきシングルピボットのブレーキアーチ、リターンスプリングの無いブレーキレバー、軽量化の欠片もない鉄のステム、二本締めのシートピラー、とどめはブルックスの革サドル。『スイフト』はチタンベースで『セレクト』に比べれば軽いですが、それでもずっしりと重い。
「ブレーキの引きが重いから乗らない」とか、「ブレーキの効きが悪いから乗らない」とか、「重いから乗らない」とか、「サドルが硬いから乗らない」とかいう「逃げ」や「言い訳」の種をまき散らかしているジブンが情けない…。

そんなジブンが言える立場でもないのは、重々承知ですが・・・。

昨今の『ヴィンテージ・バイク』ブームに思う
ここでちょっと横道にそれますが…。
誰が煽っているのか知りませんが、昨今は『ヴィンテージ・バイク・ブーム』らしい。『ヴィンテージ・バイク』と言われる自転車を乗り継いできた(今も乗っている)ジジイは一言言っておきたい。あれは「なまなかなこと」で乗れるものではありません。
ダウンチューブに付いたフリクションのダブルレバーは、少しオーバーシフトしてから戻さなくてはシフトできない。チェーン、チェーンリング、リヤスプロケットには変速を容易にする細工が一切してないので、変速の瞬間にトルクを抜かないとガリガリ言う。ブレーキレバーのリターンをアーチ側のスプリングにのみ頼るブレーキは、引きが重く、効きも悪い。リムだってヤワですぐに振れてしまう。今は亡きフ○イサイクルの先代が、「高校生は一日おきにリムの振れ取りにやってくる」と言っていたことを、懐かしく思い出します。
またフレームそのものも、どっちかというと力のある人向けで、脚が売切れたら「はい、それまぁ〜〜でぇよ…(@クレージーキャッツ)」というフレームが多い。コロンバスSLで組んだイタリア車に乗っていた時のこと、それまで順調に漕いでいたのに、突然ブレーキでも引きずっているのかと思うほどペダルが重くなった。降りてブレーキを確認しても、引きずってはいない。それから車にたどり着くまでは地獄でした。平地でも上り坂を登っているような感じで、下り坂でやっと平地を走っているような感じ。「常に一定の力で後ろに引っ張られている感じ」と表現したら、ご理解頂けるでしょうか。その時はジブンに何が起きたのかよく判りませんでしたが、あれが「脚が売切れる」ということだったのでしょう。

確かに車でもロータス・ヨーロッパなどの『ヴィンテージ・カー』を楽しむという趣味があります。でもあれは一定の車に乗った人(というより「車に入れあげた人」)がやっているはず。免許取りたての初心者が、ロータス・ヨーロッパに乗ろうとは思わないでしょう。車にのめりこんでしまって、頭がだいぶおかしく(?)なってから、ロータス・ヨーロッパに乗る。僕はそう思います。
『ヴィンテージ・バイク』は『ヴィンテージ・カー』ほどお金がかからない。ちょっと懐に余裕ができたオヤジの『自分を差別化する道具』になってしまっている。そしてその『差別化ビジネス』にちゃっかりと乗っかった輩がいる。
「『ビジネス』として成立すればそれはそれで良いじゃないか」というお考えもあると思います。でも『ピストバイク・ブーム』がどういう終焉を迎えたか。「忘れた」とは言わせません。『ヴィンテージ・バイク』よりもお金のかからない『街乗りピスト』『ノーブレーキ・ピスト』は、「『社会的幼児』(@gozziさん)の『差別化の道具』だった」と僕は考えています。
『ピストバイク・ブーム』真っ最中、某サイクルから『ピストラーダ』(前後のブレーキがきちんとついたものをここでは『ピストラーダ』と呼びます)が姿を消した。若旦那に「どうしたの?」と訊いたら、ちゃんと前後のブレーキを装着して『ピストラーダ』として納車しても、納車後にユーザーが外してしまう。『街乗りピスト』『ノーブレーキ・ピスト』にしてしまう。こんな馬鹿ユーザーが取締りにあって、「某サイクルで買った」と言うので、何度も警察が来た。そんなこんなで『ピストラーダ』の取り扱いを辞めたとのことでした。
安い労働力を求めて都会から地方に工場を移した企業が、さらに安い労働力を求めて海外に工場を移す。残された地方にはペンペン草も生えない。工場が来る前よりもその地方は疲弊してしまう。この構図と全く同じことが『ピストバイク・ブーム』の時に起こった。僕はそう考えています。
『ヴィンテージ・バイク・ブーム』も結局同じ。『差別化ビジネス』にちゃっかり乗って、ちゃっかり儲けて、ちゃっかり勝ち逃げするヤツがいる。『ヴィンテージ・バイク・ブーム』が去った後はペンペン草も生えない。そんなことになるに決まっています。

もちろん音もなくシフトができた時の快感や、上り坂にかかってアウターからインナーに架け替える時のドキドキ感(うまくやらないとチェーンが外れてしまいます)、ブレーキが思ったよりも効かず、ジブンの限界を超えたスピードでカーブに突っ込んでしまった時のドキドキ感(というより、「あぁ〜〜、どないしよう…」という後悔)は、十分に理解しているつもりです。でも、今の『ヴィンテージ・バイク・ブーム』は、本当にそういう楽しみ方に向かっているのか。単なるオヤジの『差別化の道具』になっているのではないか。そしてブームが去った後には、ペンペン草も生えないのではない。僕にはそう思えてなりません。