9月23日(祝・月)関宿〜京都・三条大橋 110km
早朝5時起床。昨日行けなかった能褒野王塚古墳、亀山宿、関宿をもう一度ゆっくり見に行こう。まだ暗い中を出発、しばらく走るとスカッと夜が明ける。夜明けのスカットって由紀さおりか? 国道1号線は早朝にもかかわらず大型トラックがビュンビュン横をすり抜けていく。危ないだろう、1号線上のルサンチマン。とてもビビった。ビビった関根
関宿へ戻り朝食。やっと調子よくなった。関宿は2km近くも続く趣のある宿場である。とても素晴らしい。五十三次ある宿場の中でも一頭地を抜く。しばらく登っていくと坂下宿である。江戸時代、この宿場は鈴鹿峠を控え大いに栄えていたが、今では門前雀羅を張る有り様である。山深い寂れた集落には隔世の感が漂う。
少し感傷的になってしまったが、これからいよいよ鈴鹿峠、旧道の山道を登る。江戸時代ここは山賊が出没し難所のひとつだった。
昔のたびは大変なんしょね。今の時代、山賊はいなくなったがやはり魔物が棲んでいた。峠の頂上付近、立ち転けしたT橋先生幸いけがはなかったがリアエンドが折れ、走行不能に陥ってしまったのだ。少し下ったところでタクシーに乗り、輪行して京都に向かう。ああ、T橋先生。ここまで来て、京都を目前にして…。切歯扼腕、断腸の思いであったろう。私も盟友を失い茫然自失テンションも下がって、駄洒落どころではない。それでも京都までまだ5つの宿場が残っている。艱難辛苦を乗り越え、私はイパネマなりませぬ。土山宿、水口宿と先を急ぐ。水口宿は街道が三列並行している珍しい宿場である。石部宿そして草津宿へ。草津宿は中山道と分岐の宿場で本陣は江戸時代の建物である。中を見学する予定にしていたのだが、気分が乗らずパス。あまつさえ名物のうばがもちを食べるのも忘れてしまう有り様だ。よほどショックが大きかったのだろう。ショックンローラーである。

最後の宿場、大津宿の手前で建部神社へ立ち寄る。ここだけはしっかりとお参りしよう。ヤマトタケルを祭る神社なのだ。そして瀬田の唐橋をわたり大津宿へ。大津宿も見所が多いのだが、義仲寺を見学するにとどめる。峠を越え京都へ向かう。京都の町並みが見えてきた。そして、潤んだ目に映る三条大橋…。
江戸日本橋を旅立ったのは2年前。この時は8人だった。結局、京都に辿り着いたのは、私とアヤベーダさん、ミッキーさんの3人になっていた。旅とはそういうものかもしれない。不測の事態、それも含めての旅である。さあ祝杯を上げよう。先に着いていた、いやついていないT橋先生も含め、皆で先斗町の川床料理、鴨川の真上で乾杯!
五十三次の旅、私にとっては手中の珠のようなものだった。もとより達成感、満足感は大きい。しかし同時に喪失感、虚無感も少なからず感じていた。目標が達成された今、次なる目標、新しい旅の計画を考え始めている。帰ってきてからというもの毎日地図を眺めていた。そしてひとつのプラン、新たなシリーズがひらめいた。
To be continued…