イモの来た道・1
サツマイモの伝来記録で最も古いものは、イギリス人ウイリアム・アダムズ(三浦按針)が1615年(元和元年)に琉球からイギリス商館(長崎県平戸市)に持ち込んだとあります。イギリス商館が栽培したイモ畑跡は、日本最初のサツマイモ栽培地として長崎県指定史跡になっています。ただこれは、さしずめ大使館が栽培したようなもので、広まることはありませんでした。
サツマイモの伝来ルートは、ほとんどが琉球からと考えられているようです(琉球へのルートはまたの機会に)。薩摩藩は1609年(慶長14年)に時の藩主島津家久が琉球へ出兵し、藩の支配下に置いて通商交易の利権を一手に握ります。これ以降、交流が活発になります。
県本土に持ち込まれ、定着したのは1705年(宝永2年)のこと。頴娃郡山川郷岡児ケ水の漁師、前田利右衛門が琉球から持ち込み、自らの畑で栽培に成功し、日本に広まるきっかけとなりました。
・・・・・あぁ 長かった・・・・(^_^;)
地元では利右衛門を「甘藷翁(カライモオンジョ)」と呼び、神社「徳光神社」(指宿市山川岡児ケ水)に祀って功績を偲んでいます。
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指宿酒造は、指宿市とその周辺の蔵の協業組合から発展した会社。メーンのブランドは「利右衛門」。この「前田利右衛門」は、化学肥料を使わず堆肥だけで育てたコガネセンガンを使い、黄麹で醸造したちょっと高級品。
黄麹らしい柔らかさと上品さが売り物です。ぬるめのお湯割りでどうぞ。
前田利右衛門 指宿酒造株式会社(鹿児島県指宿市池田6173番地1)
2008/7/27

25度と20度
鹿児島県内で生産される芋焼酎は25度が一般的ですが、お隣の宮崎県では20度の焼酎が多い、というのはご存じかと思います。これは終戦直後に宮崎県内で密造酒を一掃するため、度数を下げる代わりに酒税を軽減して安く売ることを認めた特例措置があったためだそうです。とっくの昔に特例措置はなくなりましたが、20度の焼酎だけは生き残ったという次第。
20度ぐらいなら生のままでも飲めます。麦焼酎なら今風にロックでもおいしく飲めるでしょうし、芋焼酎は和水せずに弱火でトロトロと燗をつけるとアルコール分が程良く飛んでちょうど良い濃さで楽しめます。
焼酎ブームが来るまで、よそ者にとって芋焼酎といえば「さつま白波」でした。これで芋焼酎の味を覚えた人も多いと思います。これにも20度の製品があって、最近では酒類量販店などで紙パック入りで売られているのをよく見かけますが、一升瓶入りは宮崎県向けがほとんどのようで、入手するのに苦労します。
25度の白波もうまいですが、私はこの20度を直燗で飲むのが好きですね。度数を下げると原酒の素性がモロに出るので、25度より20度の方が良い原酒を使うのだ、という人もいますが、真偽のほどは分かりません。
さつま白波(20度 薩摩酒造株式会社(鹿児島県枕崎市立神本町26番地)
2008/7/27

焼酎の肴・2(落花生
塩ゆでしたピーナツ。殻をむいて灰色がかった実を口に放り込むと、柔らかでホクホクとした食感が楽しめます。
酒のつまみの定番、乾煎りしたものよりも絶対にうまいと思っています。
国内で消費されるピーナツは、約9割が輸入品。国内生産はざっと2万トンで、最大の生産地は千葉県で全体の75%にも達するのだそうな。鹿児島では、鹿屋市周辺で栽培されていて、塩ゆで落花生はごく普通のおやつ。
一度乾燥させてしまうと、茹でられない(浮き上がってしまう)ため、掘り出した新鮮なヤツをすぐに茹でる。
某国からの輸入食品に対する不信が広まっている昨今、安心していただけるという次第。
ちなみに、落花生もイモと同じく南アメリカ原産なのであります。
2008/8/10