封を切ったとたんに、強烈な、ジャスミンのような花の香りに驚かされます。そのまま口に含むと香りにわずかな酸味が彩りを添えて、何とも独特の味わいです。果実酒を作られる方は「シモン酒」というのをご存じだと思います。比較的最近になって日本でも栽培されるようになった「シモン」というサツマイモの一種をホワイトリカーに漬け込んだお酒ですが、これと香りがよく似ています。
もっとも、「シモン」を原材料にしているわけではなく、かつて主流だった「農林2号」というイモで作っています。昭和40年代初め、多産で味も良い「コガネセンガン」が登場し、焼酎材料としては廃れた品種です。イモが変われば製造ノウハウも変わるのでしょうが、なかなか味わい深い焼酎ですね。
ちなみに、これは「南之方」同様、鹿児島県内限定発売です。

薩摩維新 小正醸造株式会社(日置市日吉町日置3309)
2009/12/26

上に取り上げたのが「維新」だったからって「小松帯刀」を取り上げた訳じゃないよ。
ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ
薩摩半島、特に南、西側で生産される焼酎は、大隅半島のものとは対照的に、どっしりと重たく、時に辛い味わいを持つものが多くあります。
これもその典型例。どこまでも太く重たい味わい。普通にその場で湯割りをしても、こーゆー焼酎のうまさはわかりまへん。
カメに和水して、少なくとも1週間以上寝かせたヤツを、黒千代香でゆっくりと温めてぬる燗でいただく。と、とんがった所が取れ、奥の底にどこか甘味を含んでいるような味わいが出て来ます。最近流行の軽い甘味ではありませんから、これを「甘味」と表現して良いものかは自信がありませんが。ともあれ、この一帯の標準酒(特別なことをしない、地域で普通に飲まれている酒、という意味で)は、男らしい。
ところで、NHKテレビで一躍有名になった「小松帯刀」は、幕末に喜入藩主、肝付氏の三男として生まれ、吉利藩主(現在の日吉町一帯)に養子入りして、家督を継ぎます。
島津久光に才能を見出され、徳川慶喜に大政奉還を迫るなど、明治維新の実現に活躍、明治3年、34歳の若さで病没してしまいます。
彼が共に働いたり後ろ盾となったりした人物は、大久保利通、西郷隆盛、坂本龍馬、大隈重信、井上馨、伊藤博文、桂小五郎、グラバーらそうそうたるメンバーです。焼酎のラベルに「幻の宰相」とあるのは、特別地元のひいき目、というわけではなく、本当にそのぐらいの人物だった、ということですね。
小松帯刀 吹上焼酎株式会社(南さつま市加世田宮原1806番地)
2009/12/26

駄法螺ばかり書き散らかしている拙HPだけど、政治、思想にかかわる話だけは絶対に書かない、と決めています。あらゆる分野に評論家、と言われる人たちがいて、それぞれに高度な専門知識を持って素人にわかりやすく説明してくれている。
ところが何を勘違いするのか、専門誌で平気で政治向きの話を書く輩がいますな。自動車業界などに。これ、大嫌いでね。思想信条の押し売りを、関係のない本でするなよ。あんたらの専門知識に金払って本を買うんであって、あんたらの政治的志向の披瀝に金を払うつもりはないんだからさ。勘違いするんだろうねぇ。偉くなったと思ってるんじゃないの。
\(^^\)(/^^)/
何でこんな訳の分からん前振りをするかというと、どーしても戦争の話をしなくてはならんから。
この焼酎が生まれた知覧町には旧陸軍の特攻航空基地がありました。不条理な死を押しつけられた(死に条理も不条理もない、といえばそれまでだけど)若者たちは、軍指定の食堂「富屋食堂」の主、鳥濱トメさんを慕い、多くの哀しいエピソードを残して出撃し、若い命を散らしていきました。
そのひとつが宮川三郎軍曹の話。
20歳の誕生日の昭和20年6月5日、出撃命令が下されます。トメに別れを告げた宮川は「今度はホタルになって帰ってくる」と言い残し、翌6日、飛び立ち消息を絶ちました。
知覧はホタルが多い土地です。翌日、食堂に迷い込んだホタルを見て、残された隊員たちは宮川を偲び、「同期の桜」を歌ったといいます。
閑話休題
川辺と隣接する知覧の酒は、川辺のものほどどっしりとはしていませんが、程良い甘さとコクがあるけれども多少軽く感じる、指宿の酒に近い気がします。これもそうした特徴をよく出していて大変に洗練された味ですばらしい。ラベルは旧富屋食堂の夜景。裏ラベルには「売り上げの一部は知覧町特攻英霊顕彰会に寄付させていただきます」とあります。
戦争は、若者からすべての可能性を奪う、最も愚かな行為。為政者は最前線で無残な死に方をすることはなし。大昔からまず無辜の若者が犠牲になる、と相場が決まっておるのです。
(-_-)

このページ、ちょっと重たいね。
ほたる 知覧醸造株式会社(南九州市知覧町塩屋24475番地)
2010/1/3