ツールド沖縄2005 市民120km

11月12日
レース前日,国頭村の「やんばるくいな荘」という民宿に泊った.
夕食中に全長10cmほどのムカデが登場するものの,おばちゃんが一蹴.
おばちゃんは30cmほどのムカデが浸かった泡盛や,2m20cmのハブ(1985年捕獲)が浸かった泡盛を見せてくれた.爬虫類嫌いな私はとても大きな衝撃を受けた.同じ宿に泊った人と楽しいひと時を過した.リラックスした状態でレースに臨めた.
翌朝は期待を裏切る雨模様だった.オフィシャルのバスに乗り込み,スタート地点へ移動したが500人近い選手達で混雑していた.
スタートを前から6列目くらいに確保するものの,スタート地点は無法地帯となっていた.結局後方に押しやられ,最前線から200人くらい後ろからのスタートとなった.
9時15分,市民200の先頭の走りが素晴らしく,市民120のスタートがなかなか切られない.九工大ジャージも勢い良く走っていく.I君の調子が良さそうだ.しかし,九大のO君,チームメイトのMさんの姿が見えなかった.
市民200の大集団が通過したと思った直後,市民120のスタートが切られていた.しかし,自分の周辺は一向に前に進まない.選手達は立ちゴケやペダルがはまらないなどが相次いだ.もうスタートして30秒は動けていない.
選手達が大会運営ボランティアに怒鳴り捲り,今度は選手達にイライラし始める.結局,スタートから約2分後に正規スタートラインを通過した.スタート前,前方5mにいたチームメイトN君の姿も見当たらない.ちょっと焦ってきた.
すぐに長い下りに入るものの,周囲は危険だらけだった.ボトルを落とす選手が多数,罵声を飛ばす選手が多数,罵声に振り返り,罵声を返して接触する選手が多数...集団のレベルの低さに仰天!このままだとレースにならずに終わってしまうと本気で思い始めた.
それから本当に焦り始めた.ここで何とかしないと本当に意味のないサイクリングになってしまうと,脚を温存せず,全力で集団の先頭まで上ることを決意した.予定では普久川までは”集団走行で楽チン作戦”だったが,そうは言ってられない状態に追い込まれてしまった.
H君を見つけ,徐々に先頭に向かう.順調に順位を上げるものの,相変わらず周囲には危険がいっぱい.前方に国頭村長スプリントポイントが見えたときには先頭は数百m先まで行っていた.このままだと本当にレースにならない.混雑極まりない大集団,この先頭に行くには登りで仕掛けるしかない.しかし,これまでの急速な追い上げで息が乱れていた.チッキショーと思い,奥の登りに入ったところで果敢にペースアップした.ようやく集団の先頭に出ることができた.そして自分のペースで登り,集団をコントロールした.しかし,ここまでの犠牲は大きかった.肉体的にも精神的にもかなりの疲労を感じていた.

 奥をトップで通過し,今度は良い順位で海沿いに出た.市民80kmクラスの選手達がたくさんいる.多分,200人以上.当然120kmに参加する選手達よりも実力は下であり,マナーも悪い.再び危険地帯に入っていった.タダでさえ疲れているのに,大粒の雨が猛烈な勢いで降ってきた.時速45kmで走っていて,この豪雨,そして右も左も下手な選手ばかり.「俺を誰だと思ってんだ!どきやがれ!」 っと叫びたくなったところでMさんを発見.一声二声かけて走っていく.市民120の先頭はもう見えない.雨で前もよく見えない.レース展開がまるで理解できていない.現状把握は不可能となり,レース自体を諦めそうになった.
ここで奥の登りで千切れたはずのN君が追いついてきた.仲間がいることで少し安心できた.やる気を少し取り戻した.しかし,相変わらず気持ちは焦っていた.それから少し行くと,妙にペースが下がり,”左左!!!”と聞こえる.雨は相変わらず強い.前も良く見えない.ようやく普久川ダム入り口に来たようだ.道幅一杯に選手達が広がっている.道幅の70%を市民80kmの選手が走り,市民120,200の選手達が残りを走る.
”目指すは山岳賞”,まずは様子見で徐々に順位を上げていく.とにかく先頭集団に居座らないと話しにならない.様子見のつもりで順位を上げていくといつのまにか先頭に立っていた.先導バイクがいたので先頭に出てしまったことに気がついた.後ろをみると集団が縦長になってきたのでもう少しペースを上げて様子を見た.自分のペースで集団を絞ることができたのが快感だった.
 この調子で上までと思ったが, スタミナが足りない.タレてきた.「なんて弱くなってんだ?俺!」と実力の乏しさに悲観的になりながらも必死で走っていると,後から数人が抜いていった. 結果から推察すると市民120 の選手30人くらいに抜かれていた.山岳賞の夢ここに途切れた.残り1kmを淡々と登り,下りに入ったら入ったで大落車が起きていた.”ああはなりたくない!”と慎重に下ることを決意した.そして再び他の選手から罵声の嵐,そしてその罵声を出していた連中も落車..あ〜ぁ.
 結局,大人しく下る.
脚を溜めつつ,アップダウンをこなしているとチェブロIが率いる10人くらいの小集団を発見.国体を完走したIがいれば前には追いつけるだろうと思ったが,すぐにI撃沈.結局一人で追い上げることになる.
 こうなったら,ひとつでも良い順位でゴールするのが目標になっていった.「今は何位だろうか?」必死に追っていると半死状態の市民80の選手を2人吸収し,3人で前を追うことにした.この二人平地が馬鹿みたいに速い.平地巡航速度から推測した実力×80%のスピードで登り区間を引いてやると,誰もついてこれない.かなりゆっくり登っているのに,なんなんだ,,,使えない.切り捨てた.
九工大のI君を発見した.こいつは使える!と思ったが、どうやら限界に達していたようで付いて来れない.しばらく一人で走っていると,後からチェブロIを含む30人くらいの集団が追いついてきた.市民120の連中も数名ここに含まれていた.集団の勢いがあるとはいえ,完走目的の集団に追いつかれるとは,なんたる不覚.
 しかし,ここは,ゆっくり後で休ませてもらうことにした.そしてしばらくすると源河の登りに入っていった.市民120の選手の一人が軽そうに登っていたので,ペースメーカーにして着いて行った.後続はバラバラになった.そしてこの選手もタレてきた.一方,自分は脚が攣りそうながらも調子が上がっており,一気に加速して,この集団のトップに躍り出ることができた.その後,さらにペースを限界まで上げて,アタックした.

 山頂をトップで通過し,単独でゴールを目指すことにした.順位の変動はない.たぶん30位くらい.下りきったら,市民200の強そうな選手に追いついた.「後続からは逃げたいので力を貸してくれ!」と申し出ると快諾された.
二人でガンガンペースを上げていく.何人もの選手が後に付くが切れていく.調子が上がっているのがわかった.ペダリングのリズム,全身の力配分,過去の自分を徐々に取り戻しつつあった.平地に入って市民120の選手を数名追い抜いた.ラスト5kmで市民120の選手を一人含んだ市民200の小集団を捕えた.先頭交代ですれ違うとき,市民120の選手が頻りにこちらの様子を伺っていた.ヤツはやる気だ.”でも絶対に順位はゆずらねー!”と誓う.
残り4kmになっても集団は大人しく先頭交代を続けていた.相変わらず様子をうかがわれている.気を抜くと攣りそうな右足を無理して動かし,元気な振りをしてみせた.実は厳しい.残り,2km,1kmと行くと,アタックを掛けたくなってきた.けど,1kmをもがき続けるのは正直言って,自信がない.
 残り300mの看板を見たところで,ラストの平坦区間を一緒に逃げてきた市民200の強そうな選手がアタックした.自分は一歩で遅れて仕掛けた形になった.視界には市民120の選手の前輪が見える.力が湧き出る.さっきまで攣りそうだった脚が甦った(ような気がするだけ).頭は真っ白,酸素が回っていない.ここからは自分のポテンシャルに賭けるしかない.そして,なんとか最後までタレることなく加速でき,ゴールスプリントを制した.

最終順位は18位だった.走行距離114km,走行時間3時間15分58秒.

戻る

徳安博士の復活記