MASI。数あるイタリアのチクリの中でも知る人ぞ知る老舗です。日本では、なぜか九州は福岡・南米商会が90年代から2000年代半ばまでオーダーを受けていました。発注する数は年間10本前後と決して多くはありませんでしたが、このフレームを何本も見ていると、自転車の奥深さ、面白さを改めて認識させられます。

アルベルトのGran Criterium
gran_alberto000.jpg (245851 バイト)Gran Criterium」
いわずと知れたファリエロ・マージ(Faliero Masi)の名車です。ファリエロは'70年代始めに工房を息子アルベルト(Alberto)に任せてアメリカに渡り、新たな工房を興します。
その際、最高級車種であるグラン・クリテリウムは息子には譲らず、アルベルトはこれに代わる車種としてプレステージ(Prestage)を造ります。ただ、ごく少数ですがアルベルトが造ったグラン・クリテリウムがあるという話はどっかでご紹介しました。
それが日本にもありました!
造りはプレステージとほぼ同一。ハンガー周りなどの工作からオーダー品であることは間違いない、ということです。
ハンガー裏に「799」とありますから'79年9月の製作と思われます。(この辺の話は別項で)トップチューブのシートポスト近くにあるはずのサインは残念ながら擦れてほとんど消えてしまっていますが、わずかに残った貼り跡は、明らかにアルベルトのサインの跡です。
一番驚いたのは、30年も前のものなのにメッキが見事な状態を保っていること。湿気の多い日本では室内保管していても、積もった埃が水分を吸ってメッキを傷めてしまいます。それが全然ない。Sレコ主体のパーツもきれいで、よほど大事にされていたことが分かります。
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2009/3/23

南米最後(?)のMASI新車
諸般の事情によりMASIの取り扱いをやめた南米商会で最後の新品フレームの安住先は、大阪在住のMickeyさん(注:その後、関東へ転勤)。南米朝練の元常連さんで機会あるごとに福岡に顔を出してくださっています。
長く店頭に飾られていたフレームに惚れ込み、譲ってもらうことに成功、パーツもMASIにふさわしいものを、とさんざん悩んだあげくDURA25周年がメーンになりました。Mickeyさん、鮮やかな赤の仕上げの良いフレームに銀色のパーツ群。切れ味鋭いハンドリングと高い直進性にすっかり惚れ込み、結局、「福岡で遊ぶため用」と称して置いたままにしています。今でも南米商会の壁に飾られています。
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2007/6/3
American MASI Gran Criterium
ame_gran01.jpg (239182 バイト)南米の古いお客様がアメリカン・MASIを入手、組み上げられ、拝見することが出来ました。
上のアルベルト作と同じ'79モデルグラン・クリテリウム。下のは当時最先端だった126mmエンド(この辺の話は別項で)に対してこちらは120mm(正確には122mm)。ちょうど移行期だったんですね。
80年代初頭(だったと思う)にまったく関係のない資本家にブランドが売り渡されるまでのアメリカン・MASIは本家(とゆーか2代目アルベルト)と同様、大変きれいなフレームを造り続けます。当時、工房にいた職人、ファリエロの弟子Mario Confenteをはじめ、アメリカ人のBrian Baylis、Jim Cunningham、David Teschらが巣立っていきました。
って、こいつら、今では(その弟子たちも含め)アメリカのワンオフ業界では錚々たるメンバーですな。
アメリカの研究者(オタクとも言う)によると資本家に売り渡されるまでの生産量は、一説によると750本程度とか。ある意味、大変貴重鴨試練。
そういう意味(よーわからんが)で、アメリカンMASIはフレーム番号をかなりの割合で捕捉出来て(アメリカの、おタクのレベルは桁違い)おり、このフレームもちゃんと故事来歴が分かっております。
現物は塗装がやや荒っぽいですが、メッキがまったく艶を失っておりません。やり直したか?とも思いましたが、西海岸の乾いた気候なら30年経過していてもありうることだし、塗装の具合からしてオリジナルではないかぃな。入手の裏話等はまた解禁できたらそのうちに。
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2009/8/15