2012年9月(2年目)
9月17日(月)舞阪宿〜鳴海宿
夜の間、豪雨だったが朝になると晴れ上がっていた。浜名湖を渡り新居宿へ。浜名湖は江戸時代、遠江と呼ばれたが、私はこの湖をとうとう見たのである。新居宿関所は、江戸時代からの建物が現存している。そして潮見坂、かなりの激坂である。竹千代(家康)も人質になるためここを通ったのである。白須賀宿を抜けると三河国(愛知県)に入る。二川宿そして吉田宿(豊橋市)。吉田宿では吉田城を見て御油宿、赤坂宿へ。赤坂宿の大橋屋は江戸時代から続く旅籠で、今でも宿泊できる。いかん、ついついまじめな話ばかりになってしまった。まじめ人間ギャートルズである。よし、この後の宿場では思いっきり弾けるぞ。
本宿間宿では近藤勇の墓にお参りする。三条河原に晒されていた首を、同志がここに運んで埋葬したらしい。そんなことしたら犯罪ですよと、今度諫み(め)ときます。そんな私も年取ったせいか、肘と肩が痛い。肘肩年ぞう。それでも毎朝起きたら掃除してますよ。起きた掃除。そんなこんなで走った後は甘酸っぱい新鮮なグミを食べたくなる。新鮮グミ。もういいよ弾け過ぎだろ。弾け過ぎた玄白
藤川宿にも立派な松並木があり、その中に吉良道の道標がある。吉良は日本中で目の敵にされているが地元では名君だったらしい。「この道はいつか吉良道♪」と誰かが歌う(お前だろ!) 秀逸、と一同拍手する。北原拍手である。
岡崎宿では、名物の肥前屋あわ雪豆腐を食べる。あわよくば2個食べようと思ったが。岡崎城、八丁みそと見て、在原業平の墓へ。
六歌仙のひとり、業平は伊勢物語のモデルにもなった私が最も好きな歌人である。多くの女性と浮名を流した平安の色男でもある。彼に心酔している私は、自らを平成の業平と称しているくらいである。
ちはやぶる
神と崇めし
業平は
色恋に耽け
艶歌(つやうた)を読む

池鯉鮒宿では、名物小松屋のあん巻きを食べる。これは甘くてうまいだけではなく腰痛や肩こりにも効くらしい。桶狭間古戦場跡を見学し、有松間宿へ。ここは間宿とはいえ、古い街並みが続く趣のある宿場だ。有松絞りが有名なのでありまつ。
この後の鳴海宿でトラブってしまった。ジョントラブルタである。ごめんチャイナ、私の静電気。地図が微妙にずれていて右折ポイントを直進してしまったのだ。すぐに戻れば良かったのだが、今にも雨が降ってきそうだった。ええいままよ、と名古屋駅まで直行した。
という訳で、最後のひと区間、鳴海宿〜宮宿間は次回に持ち越しとなる。来年また走る区間が増えるトリコ。
とはいえ、今回の旅は天候にも恵まれ、大きなトラブル、間違いもなく成就できた。道案内も時間配分もうまくいった。名所や歴史遺産へもすべて立ち寄り解説もできた。事前の予習を十分やっておいたのとハンドルに超拡大版の地図を固定して走ったのが奏功したのだ。まぁその分とても忙しく、プレッシャーもかかったのだが、そんな状況でこそたくさんのダジャレを思いつくこともできて本当に良かった。皆さん本当にありがとうございますだあけみ