大分市の高等教育機関で教鞭をとる情報工学博士・徳安達士さんは学生時代、登録選手として活躍していました。就職をし家庭を持ち、趣味として楽しく自転車と付き合う道をいったんは選びます。
ところが、研究助成金について調べているうち、ヤマハ発動機スポーツ助成財団の活動を知り、再び情熱が戻ってきます。国内ではマイナースポーツでしかないロードレースの魅力と自らの情熱を訴えて、見事第2期生に選ばれました。
幸せと引き換えに影を潜めた強さを取り戻すために練習を再開、大分〜久住120kmのコースをave.30km/h独走できるまでに回復。2008年7月20日〜8月24日の間、憧れのフランス自転車留学を実現させることができました。これはその貴重な体験レポートです。

7/29 LISIEUX 80km(=2.2km×35fois)

前回のレースから2日間の練習期間を取ることができた。厳しい疲れと道がよくわからないことも重なり70km、80km程度の距離を一人で走った程度だが。
フランスの道は日本ほど綺麗に整備されていないので、路面抵抗が高く感じた。ノルマンディは平野なので、広大な田舎の風景を楽しむことができた。時折すれ違う自転車乗りはみんな笑顔で挨拶してくれる。平日の昼間からこんなに自転車乗りに出会うとは思わず、この国の労働体制が気になった。どうやら労働時間は短く、しかも水曜日は午前中で仕事を終えて、仲間と自転車を楽しむ習慣があるようだ。また、日が長く21時くらいまで明るいので、仕事を終わってからでも十分に自転車に乗る時間を確保できる。

先日のレースを走り、フランス人選手たちの走りを見て、それからツールの選手たちの走りを思い出し、自分と決定的に違う点を見つけ出した。
自転車のポジションだ。大きく違うのはサドルの高さ、体幹を連動させて走れるポジションにしなければ彼らのような走りはできない。サドルを1.2cm上げて、0.3cm後ろに下げた。感覚として、股関節を中心に脚がギッコンバッタンとピストン運動する感じ。
慣れるまで時間は掛かるだろうが、腹筋と背筋を使うダイナミックなポジションを手に入れた.

今日のレースは100mほどの石畳区間を含むクリテリウム。この日は、ツールドフランスを走った選手達が、ショーとして走るプロクリテリウムも開催される。僕はその前にあるアマチュアカテゴリーのレースに参加した。このコースは、直角コーナーを抜けると10%の石畳登りが2か所ある。トップ選手達はここを利用して逃げを決めようとするため、どのレースも同じだが、集団の後ろほど厳しくなる。その展開を見越してスタート位置を前方に取った。今日はどんなレースになるか、時差ボケも取れつつあって前回より意識もはっきりとしている。
レースが始まってすぐに選手達の技術の高さを知ることになった。日本のレースしか知らない僕にとってどうしても劣悪な路面状況、それに加えてやはりハイスピードの展開。
コーナー入り口で減速し、出口の立ち上がりの加速が厳しい。ハイスピードで走っていたら急に道が狭くなったり、スピード区間にもアスファルトの急な凹凸が待ち受けていたり。選手達は,そうした状況の変化にも難なく対応しながら、自分の位置を無駄な力を使わずに前方に持っていく技術を普通に持っている。僕はといえば、全ての状況判断に一歩遅れ、加えて基礎的な力も劣るので、たった一周回で集団中盤まで下がってしまっていた。位置取りの下手な選手は生きてはいけない世界だ。

スピードが上がったからといって、無理にギアを上げていくと筋肉が酸欠を起こしてしまう。レース自体にも慣れていないので臨機応変に対策立てて実践し、反省を繰り返さなければならない。
この日からは、ギア変速を小まめにし、回転力で走るように心がけた。レースはこの先6つもある。一つ一つ走れるところまで走ることを決意する。そして,一秒でも長く集団の中で走ることを目指した

その後、5周回目には集団の最後尾にまで位置を下げ、なす術なく集団から離れていった。悲しいし、辛いし、この現実を受け入れたくない気持ちで一杯だ。九州のレースでは上位に食い込める力は用意した。だけどレースの次元が違い過ぎた。

「強くなるためには、まず自分の弱さを自分で認めること」
これは現役時代に何度も自分に言い聞かせてきた言葉だ。
降ろされるまで走り続ける。しばらくすると前から落ちてきた選手達と合流できた。彼らの走りは綺麗だ。ペダルを踏むために、やはり背筋と腹筋を見事に使っている。彼らの脚は異様に細く、胴回りが丸太のように太かった。
彼らと似たようなポジションにしたものの、走り方はモノにできていなかった。彼らのフォームを意識し始めると自然に対応できていった。そして、徐々にアベレージスピードが上がってきた。
結局、15周回ほど走ったところで降ろされたが、この日の得たものは多く、次に繋がるレースとなった。
石畳の感想だが、まともに自転車に腰を落ち着けることも難しかった。こうした路面状況のレースを、子供の頃から当たり前のように走ってきたフランス人選手達の技術は、一朝一夕で身に付けたものではないということがわかる。

レースを降ろされた後、チームカーで休んでいると、日本人が珍しいのか僕にたくさんの人だかりができた。
名前は何だ?とか、プロチームの選手か?とか、どこから来たの?とか、チームグッズを何かくれ?とか・・・。サインを頼まれたので、漢字で徳安達士と書いてあげた。サインをしてあげると、みんなものすごく喜んでいたのが印象的だった

しばらくするとツールドフランスを走ってきた選手たちによるプロレースがスタートした。
注目はフランスチャンピオンのサンディ・カザール、ジロデイタリアの覇者ジルベルト・シモーニも出走する。
選手たちの身体には一切の無駄がなく、極限まで絞り込まれた身体には、骨の周りに自転車を速く走るためだけの筋肉が浮かび上がっていた。
日本チャンピオンでさえ遥かに及ばない選手たちが、目の前を走り抜けていく。何度も何度も、そして超高速のレース展開の中から、さらに高速に強烈にアタックが掛かっていく。
追う方も追われる側も、走りのレベルは僕には未知の世界。一緒に走っているブリヂストンアンカーの選手たちは、後ろに付くのがやっとといった感じ。先頭で展開するシモーニは笑いながら走っている。

僕が厳しいと感じていた直角コーナー石畳の立ち上がりも、カミソリで紙を切り裂くかのようなペダリングで加速していく。写真なんて撮っていられない。彼らの走りを目に焼き付けるのみ。
ラスト5周回、プロ中のプロと呼ばれる選手たちによる優勝争いが始まった。
彼らは序盤から中盤に掛けて仲間のアシストを借りながら力を温存し、ここにきて爆発的なパフォーマンスを発揮し始める。夜も10時を回り、暗くなってきているが、ペースは上がるばかり。
5人のエースたちが、アシストしてきた選手が構成する第2集団に一分近く差を開いた。先頭集団に、エースを送り込めなかったコフィディスが必死にペースを上げ、前を追走するが追いつかない。コフィディスのエース、ルブランは集団の中程で楽に走っているように見えた。もう無理だと悟ったのだろう。

レースは残り1周回、夜11時を回るくらいなのに、観客たちの興奮は最高潮。
ゴールスプリントを制したのは、フランスチャンピオン。目の前を両手を挙げてゴールするスピードは70km/hを超えていただろう。
プロのレースで勝利する選手たち。人並みならぬ努力もあっただろうが、底知れぬ才能と資質を持っている。自分を彼らと比べることなどできない。
例え人生をやり直せても、あのレベルに到着できる自信の欠片もない。この夜は眠りにつけず、自分が現役を退いて5年もたった今、なぜフランスに来て走っているのかをもう一度考えさせられた。
彼らの強さに嫉妬しているのか、闘いたいと思っているのか。そんなことを考えながら朝を迎えた。