先生の旅行に2007年以来、毎年、大学時代の同級生がサポートに付くようになりました。車で併走、時には先回りして観光を済ませ、合流しては宴会を重ねる。以来、先生の交友もグンと広がっている気がします。
サイクリングをしていると、車の援護があるってのは例え別行動であっても、ものすごい安心感になるんですね。先生が、還暦を過ぎても元気に遠征できるのも、こうした仲間たちのサポートがあってこそ、でしょうか。
今回、「サポート隊から見たセンセ」ということでレポートをいただいていますので、ご紹介します。

日本縦断印象記に何故かサポート隊の私が登場する事態になりました。サポート隊員はA君、S君、そして私、Tです。今年度はS君と2人で前期高齢者に近づきつつある平田君が何かあれば即、介護すべく、付かず離れず同行したつもりです。(いつものことです)。
平田君、S君との付き合いは19歳の春に始まり、はや45年が過ぎました。
最初の授業の日、私が乗ったバスの横を若い男が運転する真っ赤なホンダS600が抜いていきます。教室で私の後ろの席にその男が座っていました。平田君です。2年後にはベレットGTで、まだガラガラの名神高速で新幹線と並走する(一宮から関ヶ原)間を競走し、勝った勝ったと自慢してました。助手席に乗っていた私は、まだ免許も恐怖感もありませんでした。
(編者注:Tさんは「とりつかれたようにペダルを踏む今の姿からは想像できない」とおっしゃってますが、ナニ、目の前にエサをぶら下げると後先考えずに食らいついていくのは、じぇんじぇん変わっておりません)

8月11日
岐阜羽島駅での待ち合わせに1時間近く遅れてしまい既に平田君は出発していました。早速S君を乗せ、待ち合わせ場所の関市の鰻屋へ。
結局平田君とほぼ同時に到着、火事かと思うほどのにおい充満の煙がモウモウ、平田君の食べるの早いこと(我々二人は途中の物見遊山と飲み食いがメインで旅の終わりにはいつも2キロ重量オーバー)。
食後、彼の知り合いの刀鍛冶を見学して郡上八幡へ。いままでの旅で初めてのお品書きの長紙の夕食に3人とも感激(いつも安く美味いを探す事が生きがい)。平田君、感激とお酒で腹一杯。
S君と2人で郡上踊りへ、浴衣姿の乙女に感激。人間少しは脂肪つけんとネ。
8月12日
今回の最大難所、堀越峠が宿からも見えます。コースを変更しようかとの申し出も「南信州3大峠(勝手に付けました)の杖突峠、分杭峠、新野峠と比べれば楽勝」と出発していきました。我々は、八幡城に登城し、朝からちょっと変わった酒屋へ。店内は酒とCDが半分づつ陳列されています。前回はトム・ウェイツが朝から流れていて、それだけで酔っ払いそうでしたが、今回も焼酎を購入。
東白川の道の駅で昼食、平田君出発(あまりの暑さに少々バテ気味)。サポート2人は加子母村へ。わらび餅が絶品と聞いていたので製造元へ。ところが村の電気屋さん、野良仕事のお祖父さん通りがかりの人に聞いても判らず、ようやく郵便屋さんに聞いて訪ね当てたのですが、留守…。諦めかけていたら道の駅で発見。
わらび粉100%のプリプリに満足し、中津川着。即、創作西洋料理の看板をホテルの入口横に発見、チェックインする前に今夜の予約を確保、味はそれなりでした。時間があったので馬籠まで足を伸ばしました。
8月13日 
朝飯を目一杯食べ、平田君を送り出し、ついでに妻籠へ(私はこちらが好きです)。山の中のツーリングで始めに上り坂、後は下りの快適コース。岩村からは食堂、コンビニもあまりなく。結局いつもの東栄温泉にて昼食、小生ここらがホームグランドの為、特段のこともなく通過し、無事我が家に到着。夕食まで窓を開け放した部屋で、通り過ぎる人の視線を気にすることなく平田君、S君とも大いびきでした。
8月14日
平田君、朝早く45kmキロ走ってきたので、豊橋駅まで2人を送り来年の再会を約束して別れました。
長くサポートをしていて後ろに付いてきて、ヤッパリ3人とも年取ったなと今年ほど感じた旅は初めてでした。